魔公子の日記

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#SSSS_GRIDMAN グリッドマンのEDテーマの考察

冬コミ原稿が終わって暇になったので、グリッドマンのEDテーマ(毎週流れていたもの)について考察してみましたw

 

最初は一部で噂されていた「現実世界のアカネは六花の姿ではないか?」「EDテーマは現実世界を描いているのでは?」が当たりかとも思ったのですが、色々考えていくうちに違うような気がしてきました。

 

まず「現実世界のアカネは六花の姿」の方ですが、この説の最たる根拠となったのは、最終回ラストの実写パートの女優が六花と同じ髪型だという事でした。

しかしこの女優はウルトラマンXに出演した「坂ノ上茜(アカネ)」か、新条アカネの声優である「上田麗奈」のどちらからしいとの事。

つまり円谷プロの特撮繋がりで名前がアカネだから、もしくはアカネの声優だからで選ばれたわけで、髪型は関係が無い可能性が大です。

 

また、現実世界では一人ぼっちだったアカネ(怪獣少女アノシラス談)ですから、そんな自分を好きであるはずもなく、自分が自由に創造できる世界に自分の姿をしたキャラクターを作るのは矛盾している気がします。ましてや「やっぱ六花は良いよ。他の子とはちょっと違う。私の近くにいるべき人」(8話)等、アカネは六花に固執しているので、余計に自分の姿とは考えにくいです。

 

さて問題のEDテーマですが、前半部分とラストの六花が一人で立っているシーンは冬(六花の服装がタイツ&セーター)で、アカネと六花のシーンは春(冬服で背景の木が緑)と考えられます。

 

そして歌詞と合わせて考えてみると…

 

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『崩れてしまいそう 見つめる景色 空の青さも全部

汗ばむ季節の 虚無感の答え 誰も知らないんだな』

 

六花が物憂げに教室を眺めるこのシーン。

教室にアカネの姿はなく、三枚目のアカネの席に置かれている紙パックがアカネが飲んでいたものとは違う事からも、アカネがすでに現実世界に帰った後の冬だと思われる。

 

ただ気になるのは歌詞の「汗ばむ季節の 虚無感の答え 誰も知らないんだな」の部分。

汗ばむ季節=春から夏の事だと思われるが、その虚無感の答えを誰も知らない。

つまりこの期間の何かが抜け落ちているのに誰も気づかない、具体的にはアカネの存在をみんなが忘れているという可能性も。

 

そしてここから続くシーンが

 

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4月にアカネと六花が出会った頃のようだが、このシーンの歌詞にあるように

 

『思い出せなくってもきっと僕らの出会いは どこかで何かでつながれていた』

 

六花自身もアカネの存在を徐々に忘れそうになっている、でも心のどこかで…

みたいに思い出そうとしているのでは?

 

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アカネを見つめる六花がどこかポカーンとした表情をしているところや、アカネの顔の上半分が隠れて見えないあたりも、それを暗示しているように思われる。

 

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指で手すりを走る真似をするシーン、最初は六花がやっているのかと思ったものの、何度も見直すとアカネがやっているようにも。

 

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「こんな風に助走付けてジャンプすれば飛べる気がしない?」

 

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「なに馬鹿なこと言ってるのよ」

 

みたいな会話をしている感じが。

本当は殻を破って飛び出したいアカネの願望を表しているのかも。

 

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入学当初の春先は二人の仲はとても良かったように見えるのだけれど、どうもこの後で何かあったようで…。

この回想シーンでは六花の席は教室の窓側一番後ろの一つ内側(7枚上の画像) つまりアカネの隣の席なのに対して、作中では教室の廊下側一番前というアカネから一番遠い場所になっている。これはアカネが途中から変えたのでは?

 

4話でも六花のセリフ「前はよく朝一緒に学校行ったりしたけど、最近あまり話してなかったっていうか…」に対してアカネは「そうかな? 全然気づかなかった」と、素っ気ないそぶりを見せるものの、8話では「やっぱ六花は良いよ。他の子とはちょっと違う。私の近くにいるべき人」と、非常に固執した様子を見せる。

 

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『君が待っていてもいなくても 走るよ』

 

アカネに嫌われても、アカネがいなくなっても、自分は友人でいたいという六花の決意?

 

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「すぐに消えそうな一瞬はこんなにも 美しかったか 愛せていたか」

 

この部分は歌詞に合わせてアカネの口も「美しかったか」と言っているように見える。

 

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「愛せていたか」の部分は若干物憂げな表情。

これらが何を指しているのかは分からないものの、アカネの心の中にある寂しさの吐露なのかも。

 

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そして「心の穴を満たして」の部分。アカネは六花に向かって指を一歩近づける。

これは歌詞のまま、自分の心の穴を六花に満たして欲しいという意味なのだろう。

 

この後おそらく六花はアカネの心の穴を満たすことはできず、夏になる頃アカネは六花と距離を置くようになった。

 

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でも結局、最終話でアカネの心の穴は六花によって満たされる。

 

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EDの最後、冬の屋上で一人空を見上げる六花。

たとえ他のみんなの中からアカネの記憶が消されていたとしても、彼女だけはやっぱり…

 

 

以上、EDの考察でした。

 

ちなみに一番の歌詞は六花からアカネへの気持ちを表していると思うのですが、二番の歌詞は逆にアカネから六花への気持ちを歌ったもののような気がします。

 

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そしてここまで書いておいて実はもう一つ気になる点が。

実はEDと本編では教室の机と椅子の数が違う(EDでは窓際とその隣の列が2席少ない) のです。

アカネが去ったので1席少なくなるのはともかく、2席はおかしいので、EDはクラス替えした翌年ではないのか? と考えてみると…

実はEDの春のシーンは六花に会いたくなったアカネが翌年一瞬だけ戻ってきたのでは?

なにせこの春のシーンはアカネの表情に邪気のようなものが一切感じられなくて、すごく晴れやかな表情が多いので、本編後っぽい気がするのです。

その場合は「心を満たして」の部分のアカネの指の動きは「私は現実で一歩を踏み出したよ」という報告なのかも。

 

色々と考察ができて面白いですね。

 

さて、来週月曜日はいよいよ冬コミ参加なので、持っていく本の準備をしなくては。